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福岡地方裁判所小倉支部 昭和45年(ワ)914号 判決 1974年6月27日

原告

富士興業株式会社

右代表者

米田祐成

右訴訟代理人

宮崎保興

被告

北九州市

右代表者

谷伍平

右訴訟代理人

身深正男

主文

一  原告の請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一  当事者の求める裁判

一  請求の趣旨

1  主位的請求の趣旨

福岡法務局北九州支局昭和四八年一〇月一二日受付同年度金第四七八八号の供託金一億二二四六万三二〇〇円につき、原告が還付請求権を有することを確認する。

訴訟費用は被告の負担とする。

との判決を求める。

2  予備的請求の趣旨

被告は、原告に対し、金一億二二四六万三二〇〇円およびこれに対する昭和四九年三月二〇日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

訴訟費用は被告の負担とする。

との判決ならびに第一項につき仮執行宣言を求める。

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨の判決を求める。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  主位的請求原因

(一) 原告は、北九州市小倉北区博労町六三番四ほか二筆の宅地を所有し、地上に二階建の貸ビル(通称富士ビル、以下旧富士ビルという)を建築、所有していたが、被告は都市計画街路事業による道路拡張工事のため、右土地のうち399.53平方メートル(120.86坪)を道路用地として原告から買収し、その代替地(後記売渡土地及び賃貸土地を含む)として、同区浅野町八番一の宅地2189.52平方メートル(662.33坪)を提供することを計画し、その旨原告に申し入れた。そこで、原被告協議の結果、昭和三八年一一月一一日、右代替地に関して以下に述べるような約定が成立し、同日その旨の覚書を取り交した。

(1) 被告は原告に対し、右八番一の土地のうち国道一九九号線に面した1163.63平方メートル(三五二坪、別紙図面(一)のAの部分)を、一坪当り金八万円、代金合計金二八一六万円で売渡す。

(2) 被告は原告に対し、右八番一の土地のうち右売渡にかかる部分を除く約608.26平方メートル(一八四坪、別紙図面(一)のBの部分)を左記の条件で貸賃する。

(イ)目的 原告が旧富士ビルを撤去するにつき、その入居者らを一時収容するための仮事務所建物の用地として使用するものとする。

(ロ)賃料 月額九二〇〇円とする。

(ハ)賃貸借期間 原告が右(1)の買受け土地上に、現に計画中の九階建ビルの建築を完了するまでとする。

(3) 被告は、右(2)の賃貸土地につき、将来原告から買受の申込みがあつたときは、何時でも、右(1)の売買と同じく、一坪当り金八万円の対価で原告に対しこれを売渡す(売買予約)。

(4) 被告は、右八番地の一の土地内に別紙図面(一)のとおり(甲)、(乙)および(丙)の各位置に各四メートル幅の通路を設けること。

(二) そこで、原告は、前記買受にかかる1163.63平方メートル(三五二坪)の土地上に九階建の規模を有するビル(以下新富士ビルという)の建設工事計画を進める一方、旧富士ビル入居者三六社の当分の移転先たる仮事務所を右賃借にかかる一八四坪の土地上に建設すべく準備を進めたが、右入居者らは、右建設予定地域は国道一九九号線に対面せずその裏側に位置するため、営業上支障があるとして、右仮事務所建物への移転に反対の態度を示した。そこで、原、被告はあらためて協議の結果、昭和四〇年四月二九日、右建設場所の変更等のため前記覚書による約定を次のとおり一部合意改定した。

(1) 前記の通路のうち、甲の通路を幅三メートルに減少するほか、乙および丙の通路をいずれも廃止し、別紙図面(二)の丁の位置に幅三メートルの通路を設けること。

(2) 前記(一)の(1)の売買の目的地を別紙図面(二)のA(後に八番八として分筆)の104.52平方メートル(31.62坪)および同図面のA(後に八番七として分筆)の1059.16平方メートル(320.40坪)の二筆に改める。

(3) 前記賃貸借並びに売買予約の目的物件を、従前の一八四坪のほか、右廃止通路乙の面積等を加えた別紙図面(二)のBとB'の面積合計694.21平方メートル(二一〇坪)に改めるとともに、賃料を月額一万五〇〇〇円に改訂する。

(三) そこで、原告は、その頃前記売買の目的地及び賃借地等の引渡を受けたうえ、昭和四一年五月ごろ迄の間に、右地上に軽量鉄骨コンクリート造コンクリート陸屋根三階建貸ビルほか付属建物を建設し、これに旧富士ビル入居者を移転入居させ、ついでその頃前記売渡にかかる博労町拡張道路用地120.86坪を被告に引渡し、これにより被告の博労町道路拡張事業は滞りなく完了するに至つた。

(四) ところで、原告は、かねてから前記博労町の原告所有地のうち残地約700.82平方メートル(二一二坪)を売却処分し、その代金で前記売買予約にかかる土地の買受を実現すべく、右処分に奔走していたが、昭和四四年五月頃被告の係職員から、土地払下げについて迅速に手続をするよう促されたので、原告は、その頃、被告に対し、右買受資金調達の経緯を説明し、なお若干の猶予を懇請したところ、被告の担当係員から、土地賃貸借期間の延長願を提出するよう指示を受けたので、同年六月、右延長願を被告に提出した。そして、右同月に至り、漸く右博労町の残地売却により資金の調達を果したので、原告は、その頃被告に対し、前記土地買受けの希望を申し入れたが、これに先立ち、原告が別紙図面(二)のBおよびB'の賃借地を実測したところ、その面積は合計878.77平方メートル(265.83坪、以下これを本件土地という)であることが明らかとなつた。これに対し、被告は、原告の右希望に応じる前提として、本件土地につき新規に土地賃貸借契約締結の手続をとるよう要請するとともに、別途手続をもつて、右土地の払下げの申請をするよう原告に指示した。そこで、原告は、昭和四四年一一月一日、被告の作成、準備した土地賃貸借契約書(期間は昭和四六年三月末日まで)に調印したものである。このように、右の新規賃貸借契約時においても、原被告間に本件土地の売買予約が現存し、これに基き近い将来原告に対し本件土地の売渡しが実現することは、既定の事実として当事者双方が承認し、前提としていたものであつた。

(四) かくして、原告は、昭和四五年二月一八日付、その頃到達の書面をもつて、被告に対し、前記売買予約に定める代金全額を被告の指示どおり何時でも支払うので、これと引換に同年三月三一日限り本件土地を原告に売渡し、所有権移転登記手続をするよう申入れ、もつて予約完結の意思表示をした。これによつて本件土地につき、同年三月三一日、売主を被告、買主を原告とし、代金を坪当り八万円、合計二一二五万八四〇〇円とする売買契約が完結され、もつて、原告は本件土地の所有権を取得し、被告は原告に対し、右代金の支払と引換に本件土地の所有権移転登記手続をなすべき義務を負うに至つた。

(六) なお、仮に前記覚書による約定が、いわゆる売買一方の予約として原告に完結権を与えたものではないとしても、少くとも原告において売買契約の申込をした場合、被告にその承諾義務を課するものであるから、前記原告の売買申込により、前同様の効果を生じ、原告は本件土地の所有権を取得するに至つた。

(七) ところが、被告においてこれを争うので、原告は、本訴の提起に及んだが、その係属中、昭和四八年二月九日、本件土地につき、日本国有鉄道(以下国鉄という)を起業者として土地収用法による山陽新幹線の事業認定の告示がなされ、ついで同年九月二二日、福岡県収用委員会において、その所有者が原被告のいずれか不明としたまま、収用裁決がなされたので、国鉄は、本件土地の損失補償金一億二二四六万三二〇〇円を、福岡法務局北九州支局昭和四八年一〇月一二日受付同年度金第四七八八号をもつて弁済供託した。

(八) しかしながら、前記のとおり本件土地は、原告の所有に属したものである(なお、被告に対する売買代金二一二五万八四〇〇円は、被告が故なくその受領を拒否したため、原告は昭和四九年三月一四日右全額を弁済供託した)から、国鉄のなした右供託金は原告においてその還付請求権を有するものである。よつて、その確認を求める。

2  予備的請求原因

仮に1が認められないとしても、被告が原告に対する所有権移転登記手続を怠るうちに、本件土地は前記収用裁決によつて国鉄に帰属し、原告への所有権移転は履行不能となり、原告はこれによつて少くとも右供託金に相当する損害を蒙つたから、被告は、原告に対し、右損害を賠償すべき義務がある。よつて、被告に対し、右損害金一億二二四六万三二〇〇円およびこれに対する債務不履行の後である昭和四九年三月二〇日から支払済みに至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1(一)  請求原因1(一)の事実のうち、(3)、(4)の条項の存在は否認し、その余は認める。原告は、被告との間で売買の予約(一方の予約、片務予約を含めて)が成立したと主張するが原告主張の覚書第五条但書の文言は、単に被告において将来原告への払下げを考慮するとの趣旨に止まり、売買の予約にはあたらない。このことは、右覚書条項において、払下げの目的たる土地の特定を欠くことに照らしても明らかであるし、また、本来被告がその公有財産につきかかる予約を締結する理由も必要も存しないところである。

(二)  同(二)の事実はすべて否認する。

(三)  同(三)の事実のうち、原告が土地の引渡を受けたうえ、昭和四一年五月ごろ原告主張のとおり仮事務所を建築したことは認めるが、その余は否認する。

(四)  同(四)の事実のうち、原被告間に、昭和四四年一一月一日、期間を同四六年三月末日までとする賃貸借契約が成立したことは認めるが、その余は否認する。

(五)  同(五)の事実のうち、原告から昭和四五年二月一八日被告に対し、本件土地を同年三月三一日かぎり金八万円で払下げ、原告に所有権移転登記手続をするよう申し入れのあつたことは認めるが、その余の主張は争う。

(六)  同(六)の主張は争う。

(七)  同(七)の事実は認める。

(八)  同(八)の主張は争う。

2  同2の主張は争う。

三  抗弁

仮に、原告主張のとおり原、被告間に売買の予約が成立したとしても、原告が本件土地の買受けの意思表示をした昭和四五年二月ごろに先立つ同四四年一一月一八日頃には、すでに本件土地が新幹線用地として国鉄に買収されることに内定、公表され、したがつて、原告において今後建築すべき九階建ビルの便益のため、本件土地を使用することは不可能であることが確定的になつた。また、被告市としては専ら市勢の発展、市民の繁栄のみを希求するところであり、これに沿う新幹線開通を目前にしながら、その用地たるべき土地を他に売却する如きは到底許されないところである。そこで、被告は、昭和四六年三月一一日、原告に対し、その責に帰すべからざる事情変更を理由として、前記賃貸借契約ならびに売買契約を解除する旨意思表示をし、右意思表示はその頃原告に到達した。よつて、これによつて本件土地の売買は解除されたから、原告の本件請求はその前提を欠き、失当である。

四  抗弁に対する認否並びに反論

(一)  抗弁事実のうち、被告がその主張の頃、土地賃貸借契約を解除する旨の意思表示をし、その頃原告に到達したことは認めるが、その余は否認する。

(二)  前記のとおり原告は、被告の博労町道路拡張事業に対し、多大の協力をなし、また原告が被告から浅野町八番一の代替地1163.63平方メートル(三五二坪)の提供を受けるに際し、原告は、被告が財政上の理由から一方的に算出した坪八万円という価額で買受けたのみか、原告は本件土地が国道一九九号線からみて右三五二坪の背後にあり、価値、効用に乏しいものであつたのにもかかわらず、これを将来右と同じ価額で買受けてくれるようにとの被告の強い希望を容れて本件売買予約を締結したのであり、原告は、終始、被告の意向に副う方向で協力してきたのである。又、本件土地の買受け時期についても、原告が将来博労町の残土地の処分によつて資金を得た時とする旨の合意があり、右合意に従つて残地を処分した後本件土地買受けの意思表示をなしたのであつて、原告がことさらに買受申込みを延引したことはない。それにもかかわらず、被告は、これまでの経過を無視し、前記のとおり本件土地の賃貸借契約を解除し、これにより賃貸借契約のみならず予約に基づく売買契約までも否定しようとしているが、右解除の意思表示は著しく信義に反し、権利の濫用であるから無効である。

第三  証拠<略>

理由

一原告が、北九州市小倉北区博労町六三番四ほか二筆の宅地を所有し、右地上に旧富士ビルを建築所有していたこと、被告が都市計画街路事業による道路拡張工事のため、原告から右宅地のうち399.53平方メートル(120.86坪)を道路用地として買収することとしたが、その際その代替地(売渡地及び賃貸地を含む)として、同区浅野町八番一の宅地2189.52平方メートル(662.33坪)を提供する方針を定め、双方協議のうえ、昭和三八年一一月一一日、右土地に関し、次のような約定が成立し、同日付覚書を取り交したことは、当事者間に争いがない。

1  被告は原告に対し、右土地のうち、国道一九九号線に面した1163.63平方メートル(三五二坪、別紙図面(一)のAの部分)を一坪当り金八万円、代金合計金二八一六万円で売渡す。

2  被告は原告に対し、右土地のうち、右売渡にかかる部分を除く608.26平方メートル(一八四坪、別紙図面(一)のBの部分)を左記の条件で賃貸する。

(一)  目的 原告が旧富士ビルを撤去するにつき、その入居者らを一時収容するための仮事務所建物の用地として使用するものとする。

(二)  賃料 月額九二〇〇円とする。

(三)  賃貸借期間 原告が右1の買受け土地上に、現に計画中の九階建ビルの建築を完了するまでとする。

二原告は、右契約と同時に、右賃貸土地につき、対価を坪当り八万円とする売買の予約が成立したと主張するので、以下この点について検討する。

1  <証拠>によれば、次の事実を認めることができる。

(一)  被告は、昭和三五年から北九州市都市計画街路事業の一環として、市道博労町線の道路拡張工事を実施したが、その際右道路工事のため買収することとしていた原告所有の北九州市小倉北区博労町六三番地の四の土地上に、原告所有の旧富士ビルが存在していたので、同ビル移転の問題が右工事における重大な課題ともなつたので、被告は原告と協議の結果、原告に対し、国鉄小倉駅北口附近の浅野八番一の一部である1163.63平方メートルの土地を代替地として売渡すこととした。

(二)  しかして、原告は、右移転を契機に、右代替地に大規模な九階建ビル(新富士ビルと仮称する)を新築し、旧富士ビル入居者らをこれに収容する計画をたて、その設計を業者に依頼する等の準備に着手したが、とりあえず右ビル建設が実現に至るまで、右代替地の後部隣接地である被告の所有地に仮事務所建物を建築して旧富士ビルの入居者らを一時収容する方針を定め、その旨被告に申出たところ被告もこれを了承した。

(三)  かようにして、原被告間に前記覚書により、前記争いのない事実のとおり、被告は原告に対し、浅野町八番一宅地2189.52平方メートル(662.33坪)の一部である別紙図面(一)のAの部分1163.63平方メートル(三五二坪)を代替地として売渡すとともに、その後部隣接地(右国道からみて、右売渡地の背後にある部分、以下背後地ともいう)約608.26平方メートル(一八四坪)同図面Bの部分を仮事務所の建築するための用地として一時賃貸することとした。

(四)  なお、その際、右背後地については、被告は以下に述べるような事情から、将来原告が新富士ビルの建築を完成した場合、右背後地をも原告に対して売渡すのが適当と考えてその旨を提案し、原告もこれを承諾して、双方合意のうえ、前記覚書中(第五条但書)に、「原告の希望により、被告は、原告に対し、右賃貸土地の一部を一坪当り八万円の価額をもつて払下げる。」旨の条項を設け、もつて売買の予約をした。すなわち、原告が前記代替地として買受けた土地上に将来九階建ビルを建築した場合、その背後地である右賃貸土地は同ビルと国鉄線路との間にはさまれた裏地となり、その利用価値が低下することが予想された。そこで、被告は、同土地の効果的利用を期するためには、裏側の土地の所有者である原告に買取らせて、これと一体的に利用させるのが最良と考え、原告に対しその買取り方を要望したものであつたが、原告も同土地を将来ビル裏手の駐車場や倉庫等の用地に利用できるとの判断から、これを将来買受けることとし、前記覚書第五条但書の如き合意が成立したものである。

2  右認定の事実によれば、右覚書第五条但書書の約定は、その成立に至るまでの経緯や双方の目的からみて、原告に予約完結権を与える趣旨のいわゆる売買の一方の予約と認めるのが相当である(ただし、右予約は後に述べるような一種の条件ないし制約を含むものであつたとみられる)。

もつとも、この点につき、右覚書第五条但書は、原告の希望により賃貸借土地の「一部を」払下げると定め、その「一部」が具体的にどの部分を指称するのかを示していないから、被告主張のように、目的物件の特定を欠くのではないかとの疑問を容れる余地があり、また、証人高津三郎、同大石雅也の各証言中には、公有財産の公共性から、特定の民間企業にかかる予約上の権利を与えることはあり得ない旨の供述がみられる。しかしながら、前掲各証拠によれば、覚書において目的土地が賃貸借土地の一部とされたのは、当時右土地を含む周辺土地の区画整理事業が行われる予定であつたため、将来の売買時点において対象たる土地の範囲の変動が予想されたことや、右覚書において、右賃貸借土地の一部に被告が市道を設ける約束であつたためであるが、いずれ早晩その部分は特定しうべき状態にあつた(現に後記のとおり特定した)ことが認められるから、そのことをもつて、目的の不特定として右予約の効力を否定すべきではないし、また、前掲各証拠によれば、右覚書成立の基礎には、むしろ被告側の積極的な要請があり、その作成に至る迄には、被告市の市長以下各担当部局員等においても慎重に検討がなされた結果、本件土地の払下げに関する前記条項が設けられたことが認められるから、これらの事実に照らしても、右覚書条項が単に被告において払下げを考慮する(すなわち、売渡すか否かを被告の意思にかからしめる)という趣旨に止まるものではなく、売買の一方の予約として、原告に完結権を与える趣旨のものであると解すべきであつて、これに反する前記各証言は措信できず、他に前記認定を覆すに足りる証拠はない。

三そこで、次に右売買予約に基づく本契約の成否並びに事情変更の原則に基づく売買契約の解除の効力について検討すべきところその前提たる事実関係につき、<証拠>を総合すると、以下の事実を認めることができる。

1  本件土地を含む国鉄小倉駅北口周辺(通称駅裏地区)には、従来一般にバタヤ部落と称される不法建築物が密集していたが、被告は、昭和三六、七年頃から同駅北口広場の造成、駅裏地区の整備並びに宅地利用の増進等を目的とした土地の整備計画を樹立し、その整備事業に着手していたが、その一環として昭和四〇年一一月八日、正式に訴外小倉興産株式会社と共同でする右駅裏土地区画整理事業施行の認可を得、翌四一年三月には、換地計画に基づき換地処分が行われたが、前記覚書によつて原告に売却並びに賃貸すべき予定の被告所有地は、浅野町八番の宅地3425.08平方メートル(1030.08坪)の一部となることとなり、そして右整理事業は同年七月七日その終了の認可を受けたものであるが、右事業は、原被告間の前記約定成立の当時、すでに事実上計画されていたところであり、被告は当初からの方針として、前記、博労町の道路拡張工事と右区画整理事業とを一連の事業として行い、博労町の原告所有地を買収する一方、駅裏地区において取得すべき予定地を原告に代替的に提供するとの計画を定めていたもので、原被告間の前記約定は、右の計画を背景として成立をみたものである

2  したがつて、原告は、前記約定の後も、右区画整理事業が進行し、不法建築物の除去が実現するまでは、代替地への移転が事実上不可能であつたが、その後その整備も進んだので、原被告は昭和四〇年一一月一日、前記覚書による約定を正規の契約書に書き改めることとし、その後右八番から分筆された浅野町八番七、八の宅地合計1163.63平方メートル(三五二坪)につき、代金を二八一六万円とする売買契約書を作成するとともに、その背後地である同番一の宅地約694.21平方メートル(二一〇坪)につき、期間を昭和四二年一二月三一日迄とする賃貸借契約書を作成、取交した。右のように、賃貸借期間を約二年間としたのは、原告が当時すでに九階建ビル建築の計画を実行に移す段階にあり、北九州市建築主事の建築確認を得、建築業者との間に右工事請負契約の締結を終えていたので、遅くとも二年内には、原告が右ビルを完成することが、原被告間で確実に予測されたためであつた。もつとも、前記覚書中の売買予約条項については、右契約書中に同旨の条項を設け、または別途これに関する契約書を作成する等の措置はとられなかつた。

3  上記のような契約書作成手続の後、原告は、昭和四一年五月、右買受地及び賃貸地の上に、新富士ビル建築までの暫定的措置としての仮事務所用建物を建築し、旧富士ビルの入居者らを右仮事務所に移転、入居させた。

4  しかし、原告は、その後、早々着工されることに予定されていた新富士ビル建設に着工しないまま前記二年の賃貸期間を経過し、昭和四二年一二月三一日の右賃貸借期間を経過後においては、原、被告間でその延長ないし更新について何ら取決めをすることもなく、原告は契約関係のないまま、賃料も支払わず、事実上の使用を続けて来ていた。その背景には被告の側においては、そのころ機構改革による担当者の変更があつて、契約延長の手続等につき十分な引継ぎがなされず、他方、原告においても、事実上右土地の使用収益を支障なく続けているため、自ら右手続を申し出ることなく放置していた事情があつた。

そこで、被告は、原告が無契約の状態で右土地を使用することを是正するため、改めて、右土地についての賃貸借契約を締結することとし、原告に対し賃貸借延期願を提出するよう促し、原告からの同書類の提出をまつて昭和四四年一一月一日新たに賃料を定め、期間を同四六年三月三一日までとする再度の賃貸借契約を締結した。その際、対象たる土地である八番一(別紙図面(二)のB及びB'の部分の面積を実測したところ、878.77平方メートル(265.83坪)であることが明らかとなつたので賃貸借契約書にも右地積を表示し、ここに賃借面積が右のとおり確定するとともに、前記売買予約の目的たる土地範囲も同様確定することとなつた(以下これを本件土地という)。

5  ところで、国鉄は、昭和四四年一一月一八日頃、従前からその建設を予定していた山陽新幹線岡山、博多間のルート、停車駅等の最終案を決定したが、これによれば、山陽新幹線小倉駅は現在の国鉄小倉駅北口に併設されることになり、本件土地がその新幹線の用地となることが明らかとなり、そして、同年一二月四日には、右最終案のとおり運輸大臣の工事認可がなされた。このことは当時、新聞等により報道され、広く一般に了知されるところとなつた。

6  以上の如き事情の推移の後、原告は同四五年二月一八日に至り、その頃到達の書面をもつて、被告に対し、前記売買予約に定める代金全額を被告の指示どおり何時でも支払うので、これと引換に、同年三月三一日かぎり本件土地を原告に売渡し、所有権移転登記手続をするよう申し入れた(この点当事者間に争いがない)。しかし、当時前記覚書当時から原被告間で予定されていた九階建新富士ビルの建築については、原告においてその資金の調達を果したものの未だその着工に至らず、原告が新規のビル建築計画に対する建築確認を得たのは翌四六年一一月頃、建築業者との間で工事請負契約を結んだのは四七年三月頃であり、着工はさらにその後に持ち越された。

以上の事実が認められ、<反証排斥略>。

四しかして、その後、昭和四八年二月九日福岡県収用委員会に対し、本件土地につき、国鉄を起業者として、土地収用法による山陽新幹線工事のための土地収用の申請がなされ、同年九月二二日、同委員会において、その損失補償額を一億二二四六万三二〇〇円と定めてその収用の裁決がなされ、国鉄において原告主張の如く右損失補償額を供託したことは当事者間に争いがない。

五以上認定の事実を総合して考えるとき、原告の前記土地買受けの申し入れは、いわゆる予約完結の意思表示にあたると認められるから、これによつて原、被告間に、本件土地の売買契約が成立したということができる。

六そこで、進んで被告主張の事情変更による解除の成否について検討する。

一般に、契約成立当時、その基礎となつた事情が当事者の責に帰することのできない事由により、当事者が予見せず、又は予見し得ない程度に変更し、その結果、当初の契約内容のとおり当事者を拘束することが信義衡平の原則に照し相当でないと認められるに至つた場合には、当事者はこのことを理由に契約を解除し得ると解するのが相当である。これを本件についてみるに、上記認定事実から明らかなように、

1  前記覚書成立当時、当事双方が本件売買予約の基礎的事情として認識し了解していたことは、原告が近い将来、買受地1163.63平方メートル(三五二坪)の上に新富士ビル(九階建規模)を建築するという確実な見込みであつて、その故にこそ、被告はビルの裏地となるべき本件土地の効果的利用を期するためには原告に買取らせて一体的に利用させるのが最も適当と考えてその旨を申し入れ、原告もまた、その一体的利用の計画に基いてこれを承諾したものであり、右建築に要する期間中(すなわち予約完結に至るまでの暫定措置として)、賃貸借の形式で本件土地の使用を得しめるため、前記賃貸借契約が締結されたものであつた。換言すれば、新富士ビルの建築完成が本件土地買受けの一種の条件であり、たとえそれが完結権行使の法的効果を左右する法律上の付款とまでは言えないとしても、なお右行使に対する一種の制約たる意義を有していたということができる。そして、右のような基礎的事情は、前記覚書当時のみならず、その後の前記二回にわたる賃貸借契約の前後を通じ、一貫して変るところがなかつたとみられる。

2  ところが、前記覚書成立後約六年の間、予定された新富士ビルは着工すらみないまま推移するうち、原告が前記予約完結権を行使する前の昭和四四年一一月に至つて、前記のとおり国鉄新幹線のルート決定、運輸大臣の工事認可により、本件土地が新幹線用地として買収されるという、契約当時当事者双方の全く予想しなかつた、そして、当事者何れの責にも帰し得ない事情変更を生じ、その結果、本件土地を新富士ビルの裏地として一体的に利用するという目的は全く不能に帰することが明らかとなつた。しかるに、原告は、右事情変更後、敢えて、前記の如き売買予約があるのをさいわいにその完結権を行使して来たものである。

3  しかも、本件土地の取引価額は、前記覚書成立当時からみて大幅に高騰し、前記収用裁決に先立ち、原告の依頼した鑑定業者による評価額は一平方メートル当り二〇万三三〇〇円(昭和四八年七月現在)、右裁決が損失補償額算定の根拠として示すところは一平方メートル当り約一三万九三五七円(同年一〇月現在)であつて、右後者によつても、前記覚書に定める代金額(一坪当り八万円)と比較し六倍弱の高騰を示したことが窺われる。そして、原告の予約完結の効果を是認するとき、原告は、本件土地の現実の利用は全く経ないまま、損失補償金を取得し、右の差額(総額約一億一〇〇万円)の利益を得る結果となるが、このような結果も、前記覚書当時その基礎となつた事情と隔たるところ余りにも大きいものがあると言わなければならない。

上記の諸点を考慮すると、原告のした前記予約完結の意思表示は、その権利の行使が著しく信義則に反するものと言わざるを得ず、したがつて、前記の如く、被告の責によらず、契約成立の当時基礎となつた事情に変更の生じた現在において、なお当初の契約の効力を認め予約完結によつて成立した売買契約の拘束力を認めることは、信義衡平の原則に照し相当でなくなつたと認めるのが相当である。よつて被告は、右事情変更を理由に右売買契約を解除し得ると解するのが相当である(なお、付言するに、事情変更が予約完結後、すなわち被告の履行遅滞を生じた後にはじめて生じた場合は、解除権を認めるべきではないけれども、本件においては、完結権行使に先立つて事情の変更を生じたことは前記認定のとおりであり、したがつて、被告は、これを理由に、予約完結後において、右完結により成立した本契約を解除し得ると解される。)

もつとも、原告としては、被告の行う前記博労町道路拡張工事や駅裏地区整備等の事業に対し、単に所有地の買収や移転に応じただけに止まらず、側面的に各種の協力を惜しまなかつたことが窺われるし、本件土地の売買予約自体、前記のように被告側の要請を原告が容れることによつて成立したものであり、また、予約完結までに約六年間を経過したのも、予約後初めの期間は前記代替地としての買受地及び本件土地上になお不法建物等が残存し、事実上移転を実現することが不可能であつたためとみられるし、旧富士ビル入居者を暫定的に収容するため仮設事務所に関し、入居者の要望でその位置を変更するなど、当初の予定を手直しさざるを得なかつたことが影響している面もあることは否定できない。しかしながら、右移転後においても予約完結までなお、当初予期しなかつたような長期間を経過し、その大部分は、主として原告の買受資金調達が未了のために費やされたものであることが認められ、そして、原告において新富士ビル建築計画の進展状況や右資金調達状況などを被告に具体的に説明し、予約完結期間の伸長を申し出、前記二回にわたる賃貸借契約と同時に、予約についてもさらに具体的な取りきめをしておくことなども可能であつたとみられるのに、原告がこのような行為に出たことは窺うに足りない。これらのことを考えると、完結権行使までの期間の経過は、結局原告側に帰責すべきところが多く、したがつて、被告が解除権を行使することをもつて権利の濫用にあたるということはできず、他に被告の右解除権行使をもつて権利濫用にあたると認むべき特段の事情の存在を認めるに足りる資料はないので、原告の権利濫用の主張は採ることができない。

しかして、被告が昭和四六年三月一一日本件土地についての賃貸借契約を解除する旨意思表示をし、右はその頃到達したことは当事者間に争いがないところ、前記のとおり貸賃借と売買予約は不可分の関係にあり、成立に争いのない乙第六号証によれば、右貸賃借契約の解除にともなつて土地の明渡を求めていることが認められ、これらの事実によれば、右意思表示は黙示的に売買契約の解除の意思表示を包含するものと解せられるから、右売買契約はこれによつて適法に解除されたものと認められる。

七以上のとおり、本件土地の売買契約が事情変更を理由にして適法に解除された以上、原告において、本件土地の所有権を取得する由のないことは明らかであるので、本件土地が土地収用法の規定により収用された当時、原告が本件土地の所有者であつたことを前提とする原告の主位的請求はその余の点につき判断するまでもなく理由がなく、また、本件土地の売買契約の効力の現存を前提とする予備的請求も、その余の点につき判断するまでもなく理由がなく失当である。よつて、原告請求はいずれもこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(原政俊 田川雄三 中路義彦)

図面(一)、(二)<略>

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